ウガンダ獣医師 大木奈美 さん
大木奈美さん
・1995年 北里大学獣医学部獣医学科 卒業
・1999年 青年海外協力隊としてマラウイ共和国へ
・2005年 野生動物施設の獣医師としてケニアへ
・2019年 ウガンダ獣医師免許取得
・2023年現在 帯広畜産大学プロジェクトコーディネーター/ウガンダで小動物臨床
幼少期からの英才教育??
Q.お母様のすすめで獣医師になった?
母は小学生のころから庭で秋田犬や兎や鶏を飼うなど動物が大好きな人でした。
TV番組でアフリカの特集を観ていたときに、小さい頃の私はヤギの屠殺に興味を示していたようです。それを観た母が「この子は素質がある」と思ったようで動物図鑑を私の枕元に置いたりなど動物の知識を吹き込みはじめました。その影響で幼稚園の頃からアフリカの野生生物に興味があり、小学校の作文でもアフリカで動物のお医者さんになりたい、と書いたみたいです。母にいい感じのはめられ方をしたと思っています。
Q.お母様が北里大学の受験を決めた?
当時高校生の私は数学が大の苦手でした。テストで偏差値18を叩き出したこともあります。一方生物は飛び抜けて成績が良かったです。ただ獣医大学、理系の受験となると数学は必須ですから、演劇も好きだったこともあり、獣医師は諦めてそちらを目指そうとしていました。ある日母が北里の推薦なら数学が必要ない(当時)という情報を聞きつけ、「北里にしましょう」と勧めてくれました。北里に受からなければ諦めるつもりでした。
Q.北里の大学生時代の生活は?
北里大学は一年生は相模原、二年生からは十和田キャンパスになりますよね。青森のキャンパスは広く、たくさんの動物に触らせるような校風で実習がたくさんありました。友人とのつながりも多く、それが楽しかったですね。国試勉強はもう嫌だけど、大学生活はもう一回してもいいかなってくらい楽しかったです。
アフリカはとっても居心地がいい?
Q.初めて渡航した際にお腹を壊さなかった?
まったく問題ありませんでした。気をつけて食べていましたから。レストランも選べば大丈夫ですが、慣れて気が緩んでくると危ないですね。私が死にかけたのは豚の放血殺の後、血を固めたものを食べた時です。すごい腹痛で、あれは死ぬかと思いました。
食中毒や寄生虫であれば薬でどうにかなるけど、水や飲み物は危険ですね。1週間で4キロ痩せたこともあります。ラマダン(イスラム教の絶食期間)があけたお祝いの会で出されたジュースを断れずに飲んだらやられました。その時はトイレとお友達でした。抗生剤が効かず、3種類ぐらい腸に聞く抗生剤を飲んでやっと収まりました。
マラリアにかかったときも痩せましたね!日本にはいないような寄生虫にやられてしまいます。でも気をつけていれば基本大丈夫です!
Q.アフリカで感じた文化の違いは?
もう日本の常識が非常識です。例えば時間感覚。9時59分であっても9時と言われます。彼らは待つことも待たせることも苦じゃないみたいです。短気な人は耐えられないと思います。他にも日本では人に頼み事をする時は恥を忍んで行いますが、あっちではダメ元でチャレンジみたいな感覚で頼んでくるんです。お金貸してーとか結婚しよーとか。切り替えが早くて、カラッと明るいのはいいところですが。一つの物事を掘り下げる、探究心などは日本人の方があると思います。
Q.命からがら生き延びてるとお聞きしましたが、、、
マラウイにいた時が一番危なかったです。その辺の危機感や知識がなくて茹でたネズミとか食べてました。狂犬病を持ってることに気づかず犬の口に手を突っ込んで餌を与えたりもしていました。ハエ追い行動(本人にしか見えないハエを追いかける)とかよだれとか明らかに狂犬病のような症状を見せていたのに、当時は分からなかったんです。
ウガンダ獣医師の教育担当?
Q今はどんなお仕事をされているのですか?
メインの仕事は帯広畜産大学の草の根プロジェクトの調整員です。マケレレ大学で勤務しています。小動物の病院を首都カンパラで週末だけ開いていますが病院からの収入はあまりないです。なぜか韓国人コミュニティに名前が通っていて、おそらく誰かが口コミをしてくれたのでしょうが、患者さんの9割は韓国人です。週末の往診を待ってくれる飼い主さんだけ、皮膚病やちょっとしたけが、ワクチン、避妊去勢手術などを診ています。週末しか患者さんを診られないので継続治療が必要なケースは友人のウガンダ人獣医師の病院を紹介しています。ウガンダには日本人も結構住んでいますが、ペットを飼っている方は少ないです。多分責任感が強く、2~3年しか任期がないから動物を飼っちゃいけないという意識があるのかな。
Q.日本との獣医業界の違いはありますか
症状でいうと今までいたアフリカの国では犬の玉ねぎ中毒は診たことがないですね。玉ねぎを食べてるけど大丈夫そうです。アフリカの料理はほぼ全てに玉ねぎが入っており、残飯をもらって生きている犬が多いので、玉ねぎ中毒で亡くなるような犬は淘汰されてしまうのでは?なんて考えています。そういえばフィラリアの犬も見たことないですね。
あとはイベルメクチンを子猫に1cc打っちゃったりとかする(子牛くらいの量!)先生もいます。他にも泥棒が狙った家の番犬を殺そうとして殺鼠剤や有機リン剤をまぶした肉を食べさせて中毒になるケースがあるんです。でも中毒をきちんと診断できる先生がすごく少ないんですね。げろげろ吐いている犬に感染症と診断して肝臓が中毒でやられているところにゲンタマイシンを投与して腎臓を余計に壊しちゃったりするようなおかしな治療がすごく多い。
ウガンダではマケレレ大学卒の獣医師以外はparavetっていう専門学校の卒業生が獣医師業をしています。2、3年の知識で仕事をしているのでミスが増えてしまうんですね。それをなんとかしようという動きで最近卒後教育の委員会が立ち上がって。私はその委員もしています。
Q.治療方法も日本と異なりますか?
動物病院にレントゲンがないんですね。だからどうしても必要なときだけ人の検査技師に頼んで人間の病院に連れて行っています。でもあんまり大っぴらにできないからこっそりやっています。あとは生化学検査機もない。血液検査もしたことない人が多い。薬もデキサメタゾン、テトラサイクリン、アイバメクチンしか使わないし、教わらないんです。大学の先生ですら、レントゲンや超音波の画像診断などは教えられないし。治療後の答え合わせもできずに今のままやり続けてしまっています。
やる気があっても教えられる人がいないという問題があります。
Q免許をとったときはウガンダの大学に通っていたのですか?
いいえ。はじめは野生動物が好きでウガンダではなくケニアに居たかったんです。でもケニアで獣医師免許を取るには、大学で修士を取らなければいけなくて。でもその後、たとえ修士を取っても、結局その国の国試を英語で受けなければならないことがわかったので、やめました。受ける前に諦めたんです(笑)
それでウガンダにいって今までの経歴を話しました。するとウガンダでは国試はいらないよ!書類はいっぱい要るけど、免許をもらえると言われました。どんどん出す書類が増えて、それだけが大変でした。でもアフリカに長くいることと、ケニアのナイロビ大学に修士とるために通っていた経験があって受け入れてくれました。
Q.ケニアに居続けたいと思いませんでしたか?
ケニアは野生動物がいっぱいいるけど、そこで働くには敵が多すぎるんです。野生動物を診察してもお金を払ってくれる人はいません。密猟者は私が邪魔ですから、密猟者も敵ですし。それにケニアでは野生動物公社という国の組織が保護活動の全てを行っています。そこでは外国人に知らせたくないようなことも少なくないようで、外国人の私などが入っていくのがなかなか難しい。
私が野生動物保護に関わった仕事をしようとすると、誰も味方がいなくて誰もお金を払ってくれない。ケニアで働いているうちにわかってしまったんです。野生動物保護で生計を立てるのはとんでもない話だと。そう思ってそれ以上は進まずに、違う方法でアフリカで生きられないか、週末に野生動物を見に行けないかと考えてウガンダに行くことにしました。
なかにはケニアで本当に野生動物保護をして、密猟者と戦っている方もいらっしゃいます。でも楽しいからアフリカにいたい人は野生動物に関わらない方がいいですね。日本でお金を貯めてから野生動物保護をしている人はいるけど、生活基盤をウガンダやケニアに置いて野生動物保護だけをしていくのはとても厳しいです。メインの仕事にするのは難しい。
Q日本に帰る道はなかった?
なくはなかったが今は考えていないです。アフリカはとても居心地がいいんです。チヤホヤされて、モテるから!アフリカにいると日本人はとっても大事にされるんです。同じ自分でも価値が違う。日本で数年動物病院で働いた経験で、ここでは凄腕の獣医師になれちゃう。自分のことを好きでいられる環境はここだと思っています。
Q日本がいいなと思うことはありますか?
確かにここでは強盗やテロが気になるけど、日本も最近物騒ですから。あと断水・停電とかも頻繁だからそういう不便さはあります。でも慣れれば大丈夫ですね!それに標高が高いので、エアコンやヒーターも必要ない快適な気温で心地良くて。アフリカは全ての場所が暑いわけじゃないんですね。今はウガンダを離れがたいと思っています。
今までを振り返って
Q今まで出会った人との会話の中で忘れられない一言は?
修士課程の時、同期の20歳下の子に言われたことが忘れられないですね。私が苦手な科目を彼が一緒に勉強してくれて教えてくれていたんです。試験が終わったあと、すぐに来てくれてどうだった?って聞かれて。結局は合格したのですが、試験直後は落ちたと思って、彼に「一緒に2年生になれない、泣きたい」って返事をしたんです。そしたら「もし君が泣いてバケツがいっぱいになって、それが点数に変わるなら俺の涙も足してやる」って言ってくれたです。もう終わった試験はどんなに泣いても変えられないから、終わったことは忘れて明日の試験勉強をしようぜって言われて、それが忘れられないです。よく真似して使っちゃう言葉ですね。
Q.北里の国際賞を取った時はどう思いましたか?
とても嬉しかったと同時にびっくりしました。推薦者に「応募してみようよ、海外在住で海外の発展に貢献しているかどうかが大事だから」と言われて、軽い気持ちで応募してみたら通ったんです。でもそこまで偉大なことをしたわけではないと思うんです。好きな方に流れているだけ。
ただ一つ頑張ったと言えることとすれば、人との関わりを面倒くさがらないことですね。何か声がかかった時に積極的に出ていたら周り回っていいことがありますから。人見知りとか気にせず、ちょっと勇気を出して会合とかに顔出してみるといいんじゃないと思います。やりたいことを言い続けていると誰かがきっかけを運んできてくれたりします。アフリカにいたいと思ってアフリカにい続けれるのは人からのお話を断らずにもらい続けるからだと思います。
Q.海外青年協力隊の経験はどうでしたか?
キャリアを考えている女性が今後どうしようか迷っていたら海外に行く経験は目先を変えてくれるのでおすすめです。初めはジャブ程度でいいので短期間。ただ家族を説得することが青年海外協力隊参加においては一番の難題なんです。安全な仕事ではないですから。私の場合は協力隊に行けと母に言われましたが。協力隊の面接でも親御さんがどう思っていますかと聞かれます。
あと一つ言うなら日本の社会経験をしてから海外に行った方がいいですね。知識的に有利な部分がありますし、日本の中で不条理なものを経験したら外国での不条理さに耐えられますから。
Q.これからやりたいことはありますか?
スタディーツアーをしたいです。10年考えて温めている企画です。日本の獣医師に対して、日本では経験できないことを経験する機会を提供したいです。狂犬病で実際によだれを垂らしている犬とか、原虫病でリンパ節がパンパンに腫れている牛を診るとか。アフリカでしか経験できない症例を日本の獣医師に教えたいです。同時にアフリカの獣医師に対して、日本の獣医師の細やかな心を教えたい。診療に次の日にどうなったか電話して確認する、というような細やかさは日本人の良いところです。
Q.最後に学生に伝えたいことはありますか?
先生とか経験のある方とどんどんお話しすると良いと思います。
自分がやりたいことや興味のあることをどんどん口に出していればいつか誰かが思い出して話を持ってきてくれますから。そのためには人との交流に積極的になることが大切です。
所変われば品変わるという言葉がありますが、国が変わってもその人の中身=品は変わりません。でも価値が変わる。自分を認めてくれるところがきっとある。自分が幸せと思える環境は必ずどこかにあります。
参加メンバーより
今回はウガンダで獣医師として働いている大木奈美さんにインタビューを引き受けていただきました。ウガンダで初の日本人獣医師となった大木さんの今までと現在の貴重なお話を伺うことができ嬉しく思います。自分が好きなことを大切にして、人との関わりの中で幸せを感じられる場所にたどり着いた先生のように、今に固執せず明るく前を向いていこうと思いました。
最後に大木先生に貴重な機会をいただけましたことを、この場を借りて心より御礼申し上げます。
Originally posted 2023-10-15 18:58:13.